天安門広場、今も閉ざされたまま

  • 2009/07/05(日) 16:21:11

1989年、6月4日、中国北京の天安門広場で起きた事件、今年で20年記念を迎えた。数千人の学生や国民が集まり、中国の民主化を訴えるデモが行われていた。それを妨害する為、中国共産主義の政府は陸軍の戦車数台を、デモ参加者たちに向かって突撃を命じた。

この事件は、世界中が注目した。特に、攻め込んでくる戦車の前に、一人の学生が立ち向かっている映像が、メディアにより国際報道に発信されたことである。国際社会は、あの勇気ある行動に感動され、中国政府の人権不適行動に対しては、厳しく批判した。

あれから20年過ぎた現代でも、中国は経済的には発展したものの、政治意識的には何も変ってはいないようだ。あの事件に対して、深く反省するどころか、20年記念を迎えた今年では、天安門広場を厳しく監査し、国民の自由通行を制限した。それだけではない。インタネット情報発信も厳しく観察し、政府の方針に批判するものは、直ちに封鎖する、すなわち、検閲行動を取った。 そして、あの事件に関わった者達は帰国非許可まで命じた。

中国は経済的、物質的には発展しているようだが、中国政府の政治意識は何十年前のと同じようである。 中国国民は懸命に変ろうとして、IT情報方法に積極的に溶け込んでいるが、中国政府は、人民共和国を頑固的に守り抜こうとしている。

果たして、中国の政府は何時まで国民の民主主義意識革命を無視し続けることが出来るだろうか。

自殺する勇気!

  • 2009/05/17(日) 22:21:15

人間は、誰しも、一人で、そして自力で生きて行くことは不可能である。この世に誕生する事事態が、両親から与えてもらった肉体が無かったら、成立することは出来ない。

この世のもの、人類を含め、全てが、万象万物総合関係で生かされている。この事は、不思議と、誰でも、意識的には理解している。しかし、苦しみに追い込まれたら、自己中心的に物事を考えるようになり、無意識的な行動を取り始める。そして、それがエスカレートして、最終的には、自殺を実行する勇気が湧き出てくる。

一方、多くの人は、自力で生きている、又は、自力で生きようとするから、苦しみや悩みに落ち込んでしまう。そして、その苦しみから逃れる為に、自殺を図るものも居る。あるものは、自分の命は自分のものと思うが為、その命にストップを掛けるのも自分の権利だとして、自殺を図る。又は、死んだらすべてが終わると思い、苦しみも命と同時に消そうとして、自殺を図るものも居る。

何れにしても、この様な間違った意識が、人を自殺に追い込み、結局、苦しみから逃れず、逆に、永延に苦しむ事になる。何故かと言ったら、その苦しみの根本原因は物事にあるのではなくて、その人自身の心にあり、すなわち、心は自分自身でもある。

でも、逆の面から考えて見たら、自殺を図るものは、実は、必死になって生きようとしているとも言える。苦しみから逃れたい思いは、苦しみのない人生を求めているとも言える。

この様に、生きるも自殺するも、結局、同じ意欲であり、手段的な違いだけである。

只、自殺行為は苦しみから逃れるチャンスを永久に閉ざしてしまう。一方、生き抜く行為は、そのチャンスを活かす可能性が十分ある。

結論的には、自殺する勇気があるなら、その勇気を生きることに賭けるのが、自分の為にも、家族の為にも、又、社会的にも大いに貢献する正しい行為である。

人類の罪を豚に背負わせている!

  • 2009/05/04(月) 10:09:13

これも、又、又、と言いたい出来事である。歴史上、ウイルスは人類に直撃していた。 コレラ、チーフ、肺結核等々、そして、最後にはエイズ。 でも、人類がそれらの感染防止に予防薬物を開発してきた。それに対応するかのように、ウイルスは、戦略を変更し、今度は、間接手段を取ってきた。それも、人類の食卓に一番好まれている肉類(牛肉、鶏肉と豚肉)を利用した戦略だ。 これには、人類もかなり悩まされている。

このウイルスと人類の戦いは終わりを知らない。それは、人類は実の原因である心の歪みを修正する努力をしないで、ウイルス撲滅の薬物の開発のみに挑んでいるからである。 それは、ウイルスの存在は結果であり、原因ではないのである。 それは、ウイルスの存在は、単なる人類への間違いの警告に過ぎないからである。

要は、ウイルスを作ったのは人類の心ではないが、それらを育てているのが人類の自我我欲である。自分達の勝手な欲望で、牛、鳥、豚などを畜産化し、自分達の都合で命を奪い取っているからである。そうは言っても、僕も例外ではない。

確かに、このような解釈を信じるものは居ないと言っても過言ではない。しかし、僕のmyself opinion として述べておこう。

人類がウイルスを「敵」として戦う限り、この戦争は永久に続くであろう。人類が新しいワクチンを開発したら、ウイルスは新たな新型ウイルスに進化して行くに違いない。只、ワクチンの原料はウイルスに反応した解毒剤であり、つまり、ワクチンを作るには、適合するウイルスの存在が必要である。従って、人類が先立ってワクチンを開発する事は出来ないのである。 これは、何を意味しているかと言ったら、ウイルスの存在は、人類への警告であり、「敵」ではないのである。

経済対策、「行きはヨイヨイ、帰りは怖い!」かも。。。

  • 2009/05/03(日) 10:28:41

日本政府は、最近、次々と追加対策法を国会に申請している。 確かに、100年に一度と言われている経済的不況に対応する為には、必要だろう。

この追加法が可決され、そして実施されるに到って、日本の国民は、一応、安定感を取り戻す事を期待している。

一方、別に、日本の政府は、国際社会の経済復帰支援の為にも、膨大な金額を貢献すると約束している。この約束に対応するには、やはり、日本政府は、政府紙幣の発行が必要となる。 埋蔵金が存在する話も流れているが、仮にあるとしても、それは、国内への対策の一部の対応程度で使い果たすと思う。

これに対して、日本の企業は、消費者にお金が流れると信じて、色んなマーケチングプランを計画している。値下げはともかく、大手マーケット企業は、古い電化製品や家具の下取りセールを行っている。それは、家庭内の物置きスペースを造り、新しい商品と交換する事を狙っている。

こうして、日本の経済は、一応、なんらかと動き始めているように思える。しかし、忘れてならないのは、この政府の経済支援対策法は、短期間の効果だけであること。

では、長期間には、どんな影響を齎すであろうか。経済的不況に対応した政府対策法は、消費者にお金を流し、それを売り上げ向上につなぐ為に、企業は商品の値下げで競争している。 それが、経済社会で一番心配されている「デフレ」を生むことになる。

一方、政府紙幣発行は、赤字発行とも言われる物であり、簡単に説明すとしたら、日本の国民が背負う借金がもっと拡大する事になる。

結局、長期間、いや、約3年後には、日本の国民が背負わなければならない結果は、「デフレ社会」と「借金」である事は、確実である。そして、その対策の有効が消えたあと、国民は、新たな状況にどう立ち向かうだろうか。要は、これに対して、日本の政府は、どのような対策を計画しているかと言うことである。消費税の引き上げは10%範囲では対応出来ないかも。。。。今から、その課題の議論に積極的に取り組む必要があると、僕は思うのである。

経済面では、全く素人の 独自性なる解釈で申し訳ない。

人は自らの希望でこの世に生まれた!

  • 2009/03/26(木) 21:58:42

現代では、「親が勝手に僕を産んだ」と考えている人が多いようだ。自分の不幸を親のせいにし、又、親を怨み、そして、それがエスカレートして、最終的には、自分の産みの親まで殺人する事件が数件も起きている。

しかし、人が誕生する自然システームの中で、両親が出来る事は、只、何万と言われる精子の「マラソン大会」を、適当な時期に行う事だけしか出来ないのである。そして、その精子の中の一つ、あるいは二つのみが卵子と合併する事を願うだけである。それでも、計画通りに進まない事が多い。

それは誰でも確認できる事である。子供が欲しくても、恵まれない夫婦も、又、子造りの計画が無い次期に産まれて来た子供も沢山いる。一方、親は、産む子供を選ぶことさえ出来ないのが現実である。逆に、子供こそ、親と、その環境を選んで産まれてくると、有名な神理学者は説いている。 

要は、自分自身の希望を実現出来る設備を、親が提供しただけだと言っても過言ではない。 すなわち、この世に生まれたのは、自らの希望、そして、自らの実現で得た、言わば、勝利である。

この様に言われても、簡単に納得出来ないかもしれない。それは、 「産まれる際、無意識で行動していた自分には、何の責任もない。逆に、意識的に自分の誕生を図った親に、全ての責任がある」と考えられるからである。しかし、実は、産まれる当時は、潜在意識(実財界の意識とも言う)が働きかけているので、間違いなく、現在の両親の子として誕生したのは、自分自身の希望の実現である。

これだけでも、如何なる親であっても、怨むのは大自然の掟に違反する事になり、その自分の意識こそ、自分自身を不幸にさせているのである。